『歌舞伎町セブン』はなかなか以外な展開の話だった。
話が二転、三転し最後は娘を守るため、姉をも亡き者にするとは・・・・
「種を蒔き、水をやるから花は咲く・・・
あんたみたいに、目に入るぞばから何でもかんでも毟りとってりゃ、そりゃ花も実もつきゃしねぇさ」
Bで通院している病院で頭部のMRIを撮ってもらったので、結果を聞きに行くと、昨年と同様、中耳に15ミリのかたまりがみえるそうな。そのため、CTも撮ってもらうと、小耳骨も減少してるらしいので、耳鼻科に紹介される。(耳に違和感があるので、近所の耳鼻科に行こうかなと思っていた矢先だったので、ちょと不安に思っていだのだが)
なんらかのことが分かると思い、診察を受けたところ、
耳垢がありそれも乾燥しているので、全部はとれず、結局のところ点耳薬をもらって帰ってきた。柔らかくしてから、次回だと。耳垢除去しないこには、診断できないと。
若い時に鼓室形成手術を受けているので、耳垢は自分ではうまくとれず、何年が前には耳鼻科に行ってとってもらったこともあるのだが。
それにしても1時間もかけて行ったのに、聴力検査はしてもらったものの、耳垢とりだけとは・・・
とほほである。
そのあやしい影も耳垢のかたまりなのか?
そであれば、もう笑うしかないなあ。
こんなことなら、もっと強く言ってって近い方の総合病院に紹介状を書いてもらうんだったな。
また、来週行かなくでは、あぁ、いやになっちゃうなぁ。
『くちぬい』こわ~。
この作品は、作者の体験をもとに過疎化した田舎の共同体を舞台に都会から移住して来た人が、村から苛めにあい悲惨な結末を迎える救いのない作品である。
少しのボタンの掛け違いや、郷に入っては郷に従えの言葉を守っていれば、未然に防げたのかも・・・・
でそんな簡単な問題でもないか。
口は災いの元とうことかと思っていたが、さにあらず、
「小さな共同体では隣人の思惑をはかって思ったことを口にできない。共同体に不利になることをいう口は縫っておかなければならない。口縫いだ」というとこらからこの題にしたそうだ。すべてのことはくちぬいさまの罰だと、村人はしめしあわせる。気にそぐわない人を排除し、赤線でおこったことは、自分たちの責任ではなく皆で口を紡ぐ。
最初は面白く読んだが、救いのない結末はつらいし残念な気がする。
一度、心に突き刺さった言葉の刃は錆びて朽ちることなく、そこに残り続けている
一度、口から出た言葉は消えない。肝に銘じよう。